鋼の錬金術師第1期のアニメについて
この間から、鋼の錬金術師の1期のアニメをDVDレンタルして観てます!
だいぶ前にもyoutubeで一度観たのですがその時は小学生だったので
あんまり深く理解してなかったなーと思いもう一度観ました。
それで、この前13巻を借りてきて、最終話まで観ました。
ものすごくいい話でした・・・。絵とか声とか音楽とか話とか全部ひっくるめて
すごく感動しました。たぶん原作の最終話より感動しました。(もちろん原作も好きですが)
しかし、一つだけ引っかかる所があるのです。
最終話で死んだエドをアルが錬成する時、
「兄さんは死なない…まだこんなに温かいじゃないか」みたいなことを言いますよね?
アルは温かさを感じる事はできないはずですよね??
ちょっとそこだけが?て感じなのですが…。
分かる方教えてください!
こんにちは、
2003年度版・水島監督の
通称・無印「鋼の錬金術師」を
*”絵とか声とか音楽とか話とか全部ひっくるめてすごく感動しました。”
とおっしゃっているご質問者様と私は同じ感情をもっていますので、
(勿論・劇場版(シャンパラ)もFAも原作も好きです。)
大変嬉しく思います。(否定する人がいて少し落ち込んでいたので)
(原作の最終話は”感動”もそうなのですが、どちらかと言うと、
ハッピーエンドで”微笑ましい大団円”だと感じています。)
(本作はワールドワイドにハガレンが発信された作品で国外でも素晴らしい
作品と認められた実績があるのに、否定する方もいて、それは個々の
自由なので特にないのですが賛否両論がある作品であるとは私は本知恵袋
でよく知っておりますので。)
(前置きが長くなり申し訳ありません。)
ご質問の主旨、アルが
*「兄さんは死なない…まだこんなに温かいじゃないか」と言ったのかに
関しまして、まず私も皆様もそうですが、WikipediaというWeb上の
百科事典を参照すると思います。
但し、Wikipediaに記してある事が全て正しいという解釈に関しては、
(他の方の助言より)執着(鵜呑みに)してはいけない辞書でもある
とも思っています。
アルフォンス・エルリックをwikiでひきますと、
”魂を鎧に定着させた身体であり、そのため食事や睡眠は不要、肉体的
疲労もなく、視覚・聴覚以外の感覚や三大欲求も存在しない。”とありますが、
ストーリーを見ていれば、人間の姿であった”感性や感情=心”は備えていると
思います。
以上を理由に、私のご回答者様への質問の回答と致しましては、
”兄(エド)の死に関して、絶対に認めたくなかったから”=今は鎧の身であるが、
もともとの人間としての感情で”意識が混乱した中”での発言である。
と思います。
*分かる方教えてください!
會川 昇さんとという本作の脚本家の方にしか真実は分からないかも
しれません。(実は本人も意識していなかったりしたかもしれません。)
<追記>
「魂はまだ門の中にある。それを取り戻してくればいいんだ!兄さんがしてくれた
みたいに。」
という本作ではエドを蘇らせる為の具体的な方法をアルは理解もしています。
自分の体を取り戻す為に使うはずだった賢者の石・・・兄の為に使ってしまった
アルは兄思いの弟でありそれを知ったエドが自身の全てを対価にアルを取り
戻しに真理へと向かうところが感動の一つでもありました。
(あえてまったく違うエンディングの意味が本作を観た人にだけしかわからない
ところも魅力なのかもしれません。)
「鋼の錬金術師」の矛盾点は他にもあります。
できれば、「重箱の隅をつつきたくない」のは山々ですが、モヤモヤが納まらない
のも嫌な事だと思いますので、知恵袋はその点便利だと思っています。
推論でしかないですが
あの時のアルには賢者の石が大量にありましたよね。鎧でも泳げるくらいの。ということは鎧でも温度を感じれる風になったのかも…?
じゃなかったら中の猫パワーですねwww
私も今言われて「はっ!!」ってなりました・・・
確かにそうですね。
私は1期より2期の方が比べようも無く好きですが。。。
スイマセンね。
俺もハガレン好きですが、たしかにその部分は謎ですねw勝手な推測ですが、アルフォンスはさわった時に直に感じる体温ではなく、兄の目に見えない温もりのような物を心で感じているのではないかとw
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